吹上浜の松林をつくった宮内一族
吹上浜は全長40キロメートル以上にもなる砂浜ですが、そのうち約25キロメートルには広大な松林が茂り、「日本の白砂青松100選」にも選ばれた素晴らしい景観となっています。
この広大な松林は自然にできたものではなく、砂丘からの飛砂防止のために約300年かけて人の手でつくり上げたものです。
吹上浜一帯は、かつては広葉樹の森となっており、それが砂防林の役割をはたしていました。ところが江戸の初期にその森林が大火災に見舞われ七昼夜も燃え続け、森が焼失してしまいました。
このため東シナ海から吹いてくる強風で砂丘の砂が舞い上がり、周辺の集落や耕地が砂で埋まるようになり、人々は生活ができなくなってしまいました。この危機に立ち上がったのが宮内 良門という田布施郷(現金峰町の一部)の下級武士でした。良門は郡奉行にお願いして砂防林造成の責任者「潟取締役」に取り立ててもらい、砂丘に移住して松の植栽に一生を捧げました。その甲斐あって飛砂被害は軽減され、宮内家は3代にわたって潟取締役を務めました。
しかしその後に砂防林造成の事業はおろそかになり、幕末のころには元の砂漠に戻ってしまいました。54ヘクタールもの農地が砂に埋まってしまったそうです。そこで良門の子孫、宮内 善左衛門は自分に砂防事業をやらせて欲しいと郡奉行に願い出ました。
善左衛門は数戸の仲間と砂丘に移住して、家業をなげうち、私財を投じて砂防と緑化の事業を進めました。藩も善左衛門を督励して資金援助を行い、数百ヘクタールが農地へと変わるという成果を上げました。
しかし明治維新後、西南戦争のため事業が中断し、また広大な砂丘を全て緑化するには道半ばのところで善左衛門は病に倒れ、明治24年に75歳で亡くなりました。
この善左衛門の熱意に応え、時の鹿児島県知事加納久宣(かのう・ひさよし)は国に国費支弁を陳情して認められ、一帯は保安林に位置づけられて国営事業として砂防緑化の事業が行われるようになりました。松の植栽事業は昭和の初め頃まで続き、遂に広大な砂丘が松林で覆われることになったのです。宮内良門が砂丘の緑化に着手してから、約300年が経っていました。この松林を永く保全していくため、鹿児島県は昭和28年に最初の県立自然公園の一つとして吹上浜自然公園を指定しています。
「砂丘の杜きんぽう」の近くには、吹上浜への松の植栽に一生を捧げた宮内善左衛門の功績を記念する「沙防之碑」が建立されています。今でこそ「砂」は地域資源として活用され「砂の祭典」などのイベントが行われていますが、この地域の人たちはずっと砂丘に苦しめられてきたのでした。
吹上浜
吹上浜へは、いろいろな所から砂浜へいくことができますが、駐車場等が整備された県立吹上浜海浜公園から砂浜へ行くのが便利です。砂浜への道は海浜公園の正面入り口で案内チラシをもらえます。公園入り口より徒歩15分程度です。
吹上浜海浜公園
〒163-0000 鹿児島県南さつま市加世田高橋1936-2
TEL:0993-52-0910
http://www.synapse.ne.jp/~kppfuki/fuindex.html
沙防之碑
「砂丘の杜きんぽう」のそばにある吹上浜砂丘自転車道を約2キロ北上したところに案内板があり、少し中に入ったところにあります。