「大地と海・松と砂」vol.02
吹上浜砂の祭典30回を記念して、これまでの砂の祭典を支えてこられた方々の想いをインタビューしました。今回は、vol.02をご紹介します!
中村 築 砂の祭典実施推進本部 副本部長
(日本砂像連盟所属)
地元で設計事務所を営む傍ら、砂像製作や「砂の祭典」の会場づくりに長く携わってきた中村さんに、「砂の祭典」への熱い想いを語っていただきました。
インタビュー・文=砂の祭典広報部会 クボ
砂像の型枠設計を一手に
ーー中村さんはどういうきっかけで砂像制作をするようになったんですか?
「砂の祭典」には初期の頃から関わっています。現在、本業は建築設計事務所を経営していますが、その頃は他の建築設計事務所に勤めていて、その事務所が「砂の祭典」に協力したんですよ。正確には建築士会が「砂の祭典」への協力をやることになって、建築士会の一員としてお手伝いしたということです。建築士会には田代さん(※)がいらっしゃって、田代さんが中心になってやっていました。
※ 田代さん 後に砂の祭典実施推進本部長を務めた田代昌弘さん。現「NPO法人プロジェクト南からの潮流」理事長。
ーー建築士会としての関わりだったんですね。
他の地域のアートイベントなんかでも、建築士会が関わっている場合がかなり多いんです。図面も引かなきゃいけないですし、建築士会はもともと「地域と連携するまちづくり活動をやりましょう」という活動方針があってアートを活かした街づくりに積極的に協力しています。
ーーその第1回の「砂の祭典」ではどういう思い出がありますか?
初回の記憶はあんまりないですけど、砂像制作のお手伝いをしていました。というのも、今みたいに期間中ずっと関わるのではなくて、何日か砂像制作をする間の1日だけ駆り出されるような感じでした。もちろんデザインなんかもしてないです。平成5年に独立して自分の建築設計事務所を開業させたんですが、その時に、建築士会で「砂の祭典」に協力するためのとりまとめをする役員になったことをきっかけに、関わりが深くなりました。砂の祭典ではいろんな部会があって役も多いので、建築士会のことだけでなくて部会の一員としていろいろな仕事に携わらせてもらい、副本部長に就任したのはかせだドームでやるようになってから4年目だったと思います。今から数えると12年前ですかね。その頃から本格的に関わっています。
ーー中村さんも初回から今までずっと「砂の祭典」に取り組んでこられたんですね。「砂の祭典」では具体的にはどんな役割を担当しているんですか?
私のメインの仕事は会場レイアウトです(といってレイアウトの図面を出す)。昔は、砂像のデザインや制作、いろいろやっていたけど最近はあんまり手を出さないようにしています(笑) レイアウトの原案をつくるのは7月。約1年前につくって、そこから何度も修正をかけていく作業です。実行委員会事務局からこういう案を作って下さいといわれるのではなくて、こっちの方から原案を投げかける感じでやっているんですよ。
ーー会場レイアウトの図面がプロっぽいつくりなので、誰が作っているんだろうと思っていました。中村さんが図面をつくってたんですね。
まず全体の砂像のコンセプトを決めて、それに基づいて型枠を設計して、それにあわせてそれぞれの担当の方が砂像のデッサンをつくっていくんです。
ーー砂像のデザインがあって、それに応じて型枠をつくるんじゃなくて、まず型枠から先に決めるんですね。海外からの招待作家さんの作品も同じなんですか? 先方のデザインの希望から型枠をつくるんじゃなくて?
招待作家さんは慣れていらっしゃるので、この型枠でとお願いしたらその枠内でできるようにキッチリ作って下さいますよ。型枠の方を先に決めるので、かせだドームでやっていた(私が担当するようになった)最初の頃は、招待作家さん以外は、型枠の原案を先に提案し(予算の都合もありまして)砂像製作者と調整しながら型枠や砂像をつくっていくという形でした。
やっているうちにみなさんも慣れて、型枠の方もだいたい毎年大きな変更もなくなってきています。今は砂像のデザインはそれぞれがしていますけどね。それで私も今は裏方みたいなことをしてます。あんまりなんでもかんでもやっていると引き継ぎもできなくなってきますからね(苦笑)
誰に見せるわけでもないジオラマづくり
ーー裏方というと、会場レイアウトや型枠設計の他にはどんなことを?
あとは会場のジオラマづくりくらいかなあ。
ーー「砂の祭典」のジオラマって見たことないんですけどそんなのがあったんですね。
あ、ジオラマって言っても広報用につくってるわけじゃないのでクボさんが見てないのも当然です。
ーーでは何のためのジオラマなんでしょうか?
避難計画のためですね。何しろ周りが全部松林ですからね。火災の時に避難経路が確保されてなかったら大変なことになるので(※松は油が含まれているので燃えやすい)、会場全体の3Dデータもつくりますが、やっぱりジオラマの方がイメージもしやすいです。そのジオラマを前にして、「もしここで火災が起こったら...」とか考えて、会場レイアウトに問題がないか検証しています。
ーーえー! そんなことまで検証していたんですね。こんなこといっちゃなんですが会場レイアウトは例年それほど変わらないのに、毎年ジオラマをつくってるんですか?
もちろんです。以前、明石市で花火の時に将棋倒しになった事故があったじゃないですか。あの時の混雑具合が1平米あたり13人くらいだったということです。だいたい1平米あたり10人くらいいると相当混雑しているという感じですが、こんな人だと避難もスムーズにできません。だから避難通路も1平米あたり5人以下になるように会場レイアウトや避難計画を検討するんです。もちろん現場には消防もいるわけですから、彼らもちゃんと考えるわけですけど、レイアウトする段階で危険のないようにしてないといけないですからね。
ーーじゃあそのジオラマは消防署が見るためのものという...。
そういうわけじゃないんですよ。基本的にはそのジオラマを見るのは自分だけです。時々は砂の祭典事務局の方も見に来ることもありますけど、別に見せるためにつくっているんじゃなくて、いざ何かがあった時に自分が慌てないための事前準備です。だから誰のためでもない地味ーーな作業ですよ。自己満足の世界って感じですかね。
ーーいやいや、自分が納得するために誰からも求められていないジオラマをつくるって相当すごいですよ。
職業柄ジオラマはしょっちゅうつくりますから、別に苦ではないんです。例えば、大浦にある「くじらの眠る丘」(※)は私が参加していたJV(ジョイントベンチャー)が設計したんですが、それのジオラマもちょうどここにありますよ。そろそろ処分しようと思ってたところでしたけど捨ててなくてよかったー(といってジオラマを出す)。
※ くじらの眠る丘 大浦の物産館「大浦ふるさとくじら館」に併設。2002年に旧大浦町小湊干拓海岸にマッコウクジラ(14頭)が座礁、この時座礁したマッコウクジラ(1体)を骨格標本として永久保存し、後世へ座礁の記録を継承するため建設された。
砂像彫刻の世界大会
ーー会場レイアウトづくりをやるようになったのはいつからなんですか?
副本部長に就任した時で、2004年から少しずつ手伝いはじめたと思います。ちょうどその年の「砂の祭典」では砂像彫刻の世界大会をしたんですよ。各国から10人くらい作家さんに来てもらい、砂像をコンテスト形式で作ってもらいました。砂の祭典をPRしようという活動でしたね。(プロデュースは茶圓勝彦さんです。)
ーーじゃあ招待とは違って、みなさん自分の意志でわざわざ加世田まで来られた方々だったと...。
具体的な金額は覚えてませんが賞金もそれなりに大きかったですしね。
ーーよく世界各国の作家に来てもらえましたよね。
「砂の祭典」の第1回目からお世話になってる砂像彫刻家のゲーリー・カーク(※)さんが世界の作家に声を掛けてくれて実現したものです。今まで2回世界大会をしましたね。かせだドームでやっていた頃の方が砂像に対する熱意はすごくあったような気がします。今の砂像は一般受けはするんですけどね。その頃の砂像の写真を見て下さい(といって写真を出す)。あの頃はこういうのがたくさんあったんですからねー。
※ ゲーリー・カーク 砂像彫刻の世界的な第一人者。
ーーレベルは年々上がっていきそうなものなのに、なんでそうならなかったんでしょうか?
すごいのをつくっても、一般の人にはわからないでしょ? みたいな流れになっちゃったんですよね。招待作家さん以外も、昔と比べて違うことといったら、今は写真をお手本にしてそれをそのまま写すような感じで制作されることが多いんですよ。でもテーマに関連する本を読んで勉強して、それを咀嚼して砂像のデザインをする、ということをすれば深みが違ってきます。ぜひそういうことをして欲しいです。
実際私が砂像のデッサンをしていた頃は、コンセプトをつくって全体計画をつくってからデザインしていたので、その時はいろんな勉強をしました。例えば、『星空夢物語~ガリレオ・ガリレイと世界天文年によせて~』 というテーマでやった時(2009年)は、ガリレイの生涯についての本、星座の本、ギリシャ神話の本なんかを読んで勉強しました。でも今は、テーマを決めるのもそんなに深く検討しないで一般受けが優先されているような気がして残念です。だから実施推進本部長とは毎年意見を戦わせてますよ!
「自然との共生」というコンセプト
砂の祭典って多くの人のボランティアで成り立ってるじゃないですか。私も図面を引いたりする仕事には若干の謝金をもらってはいますが、それ以外はボランティアで関わっています。各自治会もいろんなボランティアを引き受けてくれてるし、砂の祭典の予算は7〜8千万円だけど、そういう仕事も全部含めたら、本当はたぶん2億5千万円くらい費用がかかるイベントなんですね。今のやり方だとこの金額はペイできないような気がします。もうちょっと小さくまとめて、本来の趣旨に立ち返ってやったらどうかなって気がするんですよね。
ーー例えばどんな趣旨ですか?
やっぱり「自然との共生」。「砂」は南さつまの自然であって、それを利用したイベントが「砂の祭典」なわけだから。「自然との共生」というコンセプトを大切にして、地域密着でもっと「砂の祭典」をよくしていきたいなって思っています。そもそも、砂像をつくるイベントは日本にも世界にも他にいろいろありますが、今の会場みたいに松林の中に砂像を配置しているようなところはどこにもないです。
日本の庭園の作り方に「借景(※)」というのがありますが、この松林の中に砂像をつくって周囲の風景を借景として、松林と砂像との調和、というここでしかできない演出をしていったら、きっともっと素晴らしいものになると思うんですよ。そして、ただ砂像を見るだけではなくて、じゃあその松林はどうしてここに広がっているのか、そういうことまで考えて欲しいんです。
※ 借景(しゃっけい) 庭園外の山や樹木などの風景を、庭を形成する背景として取り入れたもの。(小学館 デジタル大辞泉より)
ーー知らない人が多いですけど、あの松林は自然にできたものじゃないですもんね。砂が飛散して海端の集落が困るからということで、宮内善左衛門という人が植えたとか。会場のそばには宮内善左衛門の功績を顕彰する「沙防の碑」がありますけど、ほとんど忘れられていますね。
そうなんです。今の会場も松林を切り拓いて造成されたものですが、その松林を全部切らないでわざわざ残しているわけです。会場を作った時の思いやコンセプトを忘れないようにして、ここの会場でしかできない砂像の表現、松林と砂像の調和というのを実現していきたい、そういう思いでこの四半世紀やってきました。なかなか理解されないんですけどね(苦笑)
ーーその姿勢にはすごく共感します!
でも自分もかなり長くやってきてしまったので、むしろこれからは若い人が活躍するべきだと思っています。いつもいうんですが、30代が企画して、40代は人集め、50代は金集めをするべきです。そうでないと企画がマンネリ化していってしまいます。だから自分がやってきた仕事を徐々に人に任せるようにしている感じです。
ーー最後に一つ伺いたいのですが、これまでやってきて一番印象深かったことは何でしょうか?
そうですね、ある海外の作家さん、女性の作家さんでしたけど、帰り際に「この会場はビューティフルですね」といってくれたことです。3、4年前のことで、それまで別の話をしていて帰り際に言ったほんの一言だったんですけど、その一言が今までで一番嬉しい言葉でした。松林と砂像が共鳴した演出、そのコンセプトを分かってくれた! それが心から嬉しかったです。
ーー中村さんが「砂の祭典」で追求しているものが伝わってくるようなエピソードですね。
「砂の祭典」はただ砂像を見るだけではなくて、砂像を通じて何を伝えたいのか、ということをしっかり考えて、それがお客さんにまでちゃんと伝わるイベントにしていきたいですね!
取材:2017年3月2日
インタビューを終えて
中村さんの砂像に対する愚直なまでの真面目な姿勢がとても印象的でした。「砂の祭典」の魅力を熱く語る一方で、イベントのあり方にも改善の余地があるとしていて、こういう人が執行部にいるイベントは健全だと感じさせられました【クボ】。